住まいに仏壇と神棚がある由来について(家族葬・お葬式・葬儀・まるいち・京都)

日本の家に「神棚」と「仏壇」という二つの宗教的な祭壇が共存している背景について

●はじめに

日本固有の信仰である神道と、外来宗教である仏教が長い時間をかけて共存し、融合してきたという日本独自の宗教観が関係しているといえるでしょう。

この宗教的融合の歴史をたどることで、神棚と仏壇が家庭に並んで存在するようになった由来が理解できます。

①神棚の由来:神道に基づく家庭祭祀

神棚は、神道に基づいた家庭内の祭壇で、家の守護神や氏神(うじがみ)、伊勢神宮の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)などを祀るためのものです。

神道は日本古来の自然崇拝や祖先崇拝を基盤とした宗教であり、国家や地域社会と密接に結びついてきました。特に奈良時代から平安時代にかけて、神社を中心とした神道の体系が整備され、伊勢神宮をはじめとする神社への信仰が全国に広まりました。

神棚が家庭に普及するようになったのは、江戸時代に伊勢神宮の「お札」(神宮大麻)が全国に配布され、それを家庭で祀るようになったことがきっかけとされています。庶民の間でも「お伊勢参り」が盛んになり、参拝後に授与されたお札を神棚に納め、家内安全や商売繁盛を祈願する風習が定着しました。これが現在の神棚の原型となりました。

②仏壇の由来:仏教に基づく先祖供養

一方の仏壇は、仏教に基づいた礼拝の場であり、宗派によって祀られる仏(本尊)は異なりますが、一般的には阿弥陀如来や釈迦如来などが安置されます。そして、仏壇には多くの場合、位牌(いはい)と呼ばれる故人の霊を表す木札が置かれており、祖先供養のための重要な場所とされています。

仏教は6世紀に日本に伝来し、奈良時代には国家仏教として整備されました。その後、鎌倉時代には浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗などの新しい宗派が生まれ、庶民の信仰を集めるようになります。仏壇が家庭に置かれるようになったのは、主に江戸時代以降とされ、檀家制度(だんかせいど)という、各家庭が特定の寺院と結びつき、葬儀や法事をその寺で行う仕組みのもと、各家で先祖の霊を祀るために仏壇が置かれるようになりました。

③神仏習合と両者の共存

日本において神道と仏教は、対立するのではなく、長い歴史の中で「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という形で共存してきました。

これは、神道の神と仏教の仏が本質的には同じ存在であると考える思想です。たとえば、神は仏の仮の姿であるという「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」などが唱えられ、神社に仏像が祀られたり、寺に神が祀られたりすることも珍しくありませんでした。

そのため、個人の信仰の中でも「神にも仏にも手を合わせる」という柔軟な姿勢が育まれ、家庭においても神棚と仏壇の両方を設けることが自然な形として受け入れられていきました。

④神仏分離と現代への影響

ただし、明治時代になると「神仏分離令」によって、国家神道が推進され、神道と仏教の分離が行われました。この時期、多くの寺が破壊されたり、仏像が撤去される「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が起こるなど、神仏習合は大きな打撃を受けました。しかし、それでも民間信仰のレベルでは神仏習合の精神は根強く残り、多くの家庭では引き続き神棚と仏壇の両方を祀り続けてきました。

現在でも、特に地方や伝統を重んじる家庭では、玄関や居間に神棚を、仏間に仏壇を設け、年中行事や日々の祈りを通じて、神と仏、そして祖先への敬意を表しています。また、家族が集う場にこれらがあることで、宗教的な意味だけでなく、家庭の精神的な支柱、そして文化的なアイデンティティとしての役割も果たしています。

●まとめ

日本の家庭に神棚と仏壇が並んで存在するのは、単に二つの宗教が並立しているからではなく、日本人の宗教観の柔軟さや歴史的背景、文化的な価値観が複雑に絡み合った結果です。神棚は神道による日々の加護を願うものであり、仏壇は仏教による先祖供養を行う場です。この二つを大切にし、日常生活に取り入れてきた日本人の姿勢には、「信仰」という枠を超えた、家族や祖先、自然への畏敬の念が表れているといえるでしょう。

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ページ公開日: 2025-06-21 
ページ更新日: 2025-09-08