仏教の起源について(家族葬・京都・まるいち)

仏教の起源について書いていこうと思います。

 仏教を開いたお釈迦様はどんな人物だったのでしょう。

語り継がれている伝説を一部ご紹介します。

 お釈迦様はおよそ2500年前に現在のインドの北部、ネパール付近で生まれました。本名はゴータマ・シッダールタといい、“釈迦”というのは、釈迦族の出身であるためつけられたものです。

 シッダールタは摩耶婦人の右脇から生まれ、すぐに自ら七歩あるき、右手を上げて天を、左手で地を指すと「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言いました。「天にも地にもただ我一人尊い」という意味です。

 七歳の頃には数学や文法学、天文学など、あらゆる領域の学識がありました。

 シッダールタの父である浄飯王(じょうぼんのう)は、息子に出家の道ではなく帝王の道を選んで欲しかったため、三つの宮殿を与え、女性だけに囲まれて暮らすなど、あらゆる贅沢をさせました。そして、同じ釈迦族の王の娘、ヤソーダラー姫を、シッダールタの妃として迎え入れました。

 何一つ不自由のない暮らしをしていたシッダールタでしたが、精神的に満たされない思いをしていました。気晴らしに城外の東西南北、四方向へ遊学することとなり、それが出家を決意させることにつながるのでした。「四門出遊」(しもんしゅつゆう)と言います。

 東の門では、衰えた老人を見ます。人間は誰もが老いていくものだと気づきます。

 南の門では、病に伏せた人を見ます。人間は誰もが病気の辛さを味わう悲惨さに直面します。

 西の門では、死者に出会います。人間はいつか生命をなくし、ただの物体に化すという儚さを考えさせられます。

 北の門では、出家した修行僧に出会います。迷いの世界から解脱するという理想の姿に出会い、シッダールタはここで出家を決意します。

 地位や財産、家族を全て捨て、沙門(しゃもん)という出家修行者になります。二人の師のもとで禅定(ぜんじょう)と呼ばれる座禅瞑想によって精神統一をする修行を行い境地を得ますが、納得できません。その後は、苦行の道を選びます。一日中片足で立ち続けたり、太陽を裸眼で見つめ続けたり、首まで土に埋め込み続けます。四十二日間の断食を行い人々に賞賛されたゴータマ沙門でしたが、死の寸前に至るまで苦しんでも、悟りは得られませんでした。

 ある日農民が俗謡を口ずさみながら通りました。

「琵琶(びわ)の弦  きりりと締めれば ぶつり切れ  さりとてゆるめりゃ べろんべろん」

 この歌を聞いたゴータマ沙門は、苦行の無意味さに気づきます。

 王子として何不自由のなかった楽な道と、死に瀕した苦行という道のどちらにも悟りはなく、極端に偏らない「中道」(ちゅうどう)という思想に辿りついたのでした。

 そして菩提樹の木の下で座禅を組んで瞑想し、真理に目覚め、「仏陀」(ぶっだ)=悟りを開いた人となりました。このまま真理を楽しみ味わい、入滅するつもりだった仏陀ですが、ついには伝道を決意しました。初めは受け入れられなかった説法ですが、徐々に理解者が増えていきます。

 仏陀は「縁起」(えんぎ)「四諦」(したい)「八正道」(はっしょうどう)という、人生の苦の原因と解決法を説きました。

 「縁起」とは、物事が互いに関係し合っているという意味です。

 「四諦」とは四つの真理のことです。

 一、苦諦(くたい)…人生は本質的に苦しむものであると悟ること。

四苦八苦。 生・老・病・死の四苦に加えて以下の四苦。

愛別離苦(あいべつりく)愛する人と別れる苦しみ。望まない別れが訪れること。

怨僧会苦(おんぞうえく)怨みや憎しみを味わう者に出会うこと。

求不得苦(ぐふとくく)求めても得られないこと。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)精神的・肉体的に様々なものに執着することで生じる苦しみ。

 二、集諦(じつたい)…人生の苦しみには原因があると悟ること。煩悩。

三、減諦(めつたい)…苦の原因である煩悩の消滅が苦の消滅であると悟こと。

四、道諦(どうたい)…苦の原因を取り除く方法について悟ること。

「道諦」をさらに詳しく説いたものが「八正道」です。

八正道とは「正見」(しょうけん)…正しく物事を見ること。

「正思惟」(しょうしゆい)…正しく物事の道理を考えること。  

「正語」(しょうご)…真実のある正しい言葉を語ること。  

「正業」(しょうごう)…間違いのない正しい行為をすること。

「正命」(しょうみょう)…正法に従って清浄に暮らすこと。

「正精進」(しょうしょうじん)…正しく目的に向かって努力すること。

「正念」(しょうねん)…邪念を離れ正しい道を意識すること。

「正定」(しょうじょう)…正しく精神を集中して安定させること。

  仏陀はこうした教えを、相手の理解力や素質に応じて臨機応変に説いていきました。

 この世は苦しみに満ちているという現実を理解し、その原因が自らの煩悩であることを認め、それと向き合って八正道を実践していけば、悟りの道が開けるということです。

 仏陀は三十五歳で悟りを開いてから、八十歳で亡くなるまで布教活動を行いました。十大弟子と呼ばれる仏陀の弟子や、信者を増やして発展していき、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)や祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)といった修行場も得ました。

 歳をとった仏陀は、肉体の衰えを感じ、ついに入滅の決意をします。クシナガラの地で、二本の沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に床を用意させ、北側に頭を、顔を西に向けて横たわります。そして最後に「諸行は無常、怠ることなく努力しなさい」と告げ、死を迎えました。

 この時沙羅双樹は季節はずれの花を咲かせ、信者らや鳥、獣、目には見えない諸天諸神までもが詰めかけ、仏陀の周囲を埋め尽くしました。

 仏陀の遺骨は八つに分けられ、崇拝の対象となったといわれています。

ページ公開日: 2021-04-10 
ページ更新日: 2024-06-10